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白河簡易裁判所 昭和39年(ろ)19号 判決

被告人 花安多重

明三六・一〇・四生 農業兼精米業

主文

被告人は無罪。

理由

本件公訴事実の要旨は「被告人は、昭和三九年一一月四日午前七時四〇分頃、白河市字中野山三番地斎藤登代子方住家から南方約一〇〇メートルの地点において、きじを射とうとして同住家に向い発砲し、以て銃丸の達すべきおそれがある建物に向つて銃猟したものである」というのであるが、以下各証拠によつて検討するに

一、先づ、被告人が銃猟をなした現場の模様について

当裁判所の検証調書によれば、現場は密生した芦枯のある広範な湿地帯を中心に、その東方は芦枯野、田地を経て東北本線の軌床堤に、西方は畑地を経て小高い雑木混りのうつそうとした杉林に、南方は田地、原野を経て小高い雑木山に、北方は稍平坦な茅野、草原に続く地形にあつて、その遙か西北方に斎藤登代子方それより更に奥には安部安永方の各住家およびその附属建物のあることが認められる。

二、次に被告人が銃猟をなした際の状況について

当裁判所の検証調書、証人穂積毅、橋本柾一、斎藤登代子に対する各尋問調書、当公判廷における証人佐藤芳治(伝聞供述の部分を除く)被告人の各供述、安部安永の検察官に対する供述調書および押収の散弾粒(証第一、二号)を綜合すれば、昭和三九年一一月四日の朝被告人は穂積毅、橋本柾一と共に銃猟のため前示現場に至り、穂積と橋本は前示湿地帯の南側を、被告人は同地帯の東側を通行中午前七時四〇分頃突然きじ二羽が被告人の附近から飛立ち、そのうちの一羽は西方の杉山方向に飛行したので、被告人は、これを射程一五度前後の角度をもつて追い撃の方法(後出五参照)により、また穂積と橋本は、これを横撃(後出五参照)の方法でそれぞれ射撃したこと。その際被告人は、単身猟銃に単発五号の散弾を、また穂積と橋本は、二連猟銃に二発、前六号後五号の散弾を各装填し発射したこと。右時刻頃散弾が斎藤方住家の屋根および南側硝子戸に当り、硝子にその弾痕を残し散弾三粒が落下してあつたこと。その散弾粒は五号と推定されること。また同時刻頃安部方の住家屋根にも当つたこと。が認められる。

三、次に被告人の発射位置およびきじの飛行線と斎藤方建物との距離について

前示検証調書、証人穂積毅、橋本柾一の各尋問調書、当公判廷における証人橋本柾一および被告人の各供述によれば、斎藤方の物置は、被告人の発射位置から西北方約九四、六メートルの地点に、また住家は、同方向約一一〇メートルの地点にあること。そうして、被告人が射撃したきじの飛行方向線を斎藤方の物置および住家から見るときは、東南方の被告人の発射地点から物置の南方約三七メートル、住家の南方約四〇メートルをそれぞれ距てた地点の上空を各経て西方の杉林に至る線に当ること。被告人の発射地点から右斎藤方の物置の南方約三七メートルに当る地点までの距離は約八四メートル、住家の南方約四〇メートルに当る地点までの距離は約九六メートルあることが認められる。

四、次に被告人の発射した方向およびその銃丸が斎藤方の建物に到達すべきおそれがあつたかどうかについて

本法第一六条後段の所定の人又は物に向つてという趣旨は、これらのものが銃丸の到達するおそれある範囲内にあるときは、それらのものがある方向にむかつてということを意味するものと解せられる。

そこで、被告人の発射方向は前説示のように、追い撃の方法なるため、きじの飛行方向と同一であることが認められるので、右方向において被告人の発射した銃丸が斎藤方の建物に達すべきおそれがあつたかどうかについて考察するに、この場合、銃丸の達すべきおそれがあるかどうかの距離的関係を、どこに置くかが問題となるところであるが、鑑定人松本弘之作成の鑑定書によれば、被告人が使用した猟銃に散弾粒五号を標準実包に装填し、狙射一五度の角度をもつて発射した場合の銃口前一〇〇メートル先における散弾粒群の散開経は五、二メートルと推定されるので、被告人が発射した位置より斎藤方住家方の南方約四〇メートル先に当る地点までの距離は、約九六メートルであるからこの地点上空を通過する際の散弾粒群の散開経は、概ね五、二メートル以下と推測される。

また、右鑑定書によつて明かなように射程距離が短かければ、それに伴つて弾粒群の散開経もまだ小さくなるので、同人方の物置の南方約三七メートル先に当る地点までの距離は約八四メートルであるからこの地点上空を通過する際の散弾群の散開経は五、二メートルより更に小さいことが推測される。

従つて、右弾道軸と斎藤方建物との最短距離を三七メートル前後に置いても同建物に到達するに、距離的にはなお相当の余裕のあることが推認される。

以上は一応の科学的推測に準拠したものであつて、危険防止という本法条の趣旨からこれとあいまつて、広くその他の関係を合理的に合せ考えるべきであるところ、この限りの資料では、被告人の発射した銃丸が斎藤方の建物に到達すべきおそれがあつたとするには足りず、このままただちにこれを認めることはできない。そして他にこれを認めるに足る客観的証拠はない。検察官は、それ弾による危険性、または本件建物以外にその附近に人畜のあるべき可能性を主張されるが、本案の場合それ弾という多種多様な発生原因を伴う特殊な現象、または人畜の現在しない状態にあるべき場合を想定して論ずることは当らないと思料する。またそれらについての何らの資料も提出されていない。

五、次に、斎藤方住家に散弾が当つた関係について

被告人の発射時頃、斎藤方および安部方住家に散弾が落下したことについては、前示認定のとおりであるが、果してそれが被告人の発射したものであるかどうか、につき検討するに、前示証人橋本、穂積の各尋問調書、証人橋本および被告人の供述によれば、追い撃とは、飛んでいる鳥の後尾を照準にして狙射する方法で、この場合銃口は、鳥の飛行に従つて多少上下に移動することあるも左右に移動することのないこと。横撃とは(流し撃とも称する)前方を横断飛行する鳥の側面またはその飛行前方を照準にして狙射する方法でこの場合、銃口はいわゆる流し撃と呼ばれるように、鳥の飛行に従つて横に移動するものであることが認められる。

前説示のように被告人は追い撃の方法により五号散弾を一発、橋本柾一、穂積毅は横撃の方法により前六号後五号散弾を二発づつ計五発を放射したのであるが、それによつて見れば、被告人の発射後橋本、穂積が発射した(いずれが先かは不明)のであるから、そこには時間的経過のあつたことは当然にして、橋本、穂積の発射時の鳥の飛行位置は、被告人の発射時の位置より相当先に進んでいたことが推測される(橋本、穂積の各自の発射方向に関する供述部分は信用できない)。また、横撃の場合は追い撃の場合と異り鳥の飛行に従つて銃口を移動させながら照点を合せるのであるから場合によつては、相当の横巾の移動があること。そしてその時の情況により気配を獲物に集中する結果、予期しない方向において発射することあるべきことも推測するに難くない。花安紀夫の検察官に対する供述調書によれば、同人の当時の発射位置は、本件被告人の発射位置と大体同様のように思われるが、花安紀夫の場合は、横撃の方法なるをもつて(調書添付図面参照)同人は、前説示のように予期しない方向において発射した結果によるものであることが窺われる。これによつて見ても横撃の危険の度合の多いことは、追い撃の比較でないことが推察できる。

本件の場合も東方から西方に飛行する鳥の南方に射程位置を構え、その鳥に従つて銃口を東から西へ移動させながら発射するにおいては、その銃丸は斎藤方或はその奥の安部方へ到達する危険性のあることは推測するに難くない。橋本、穂積の射程位置は右に相当するもので、ましてや両名共後の二発目は五号散弾を発していることが認められる。

よつて、前示四に説示したこととも関連するところであるが、右の諸情況により考察するに、斎藤方および安部方の各住家に当つた散弾は被告人の発射したものによるものとは認め難い。他にこれを認めるに足りる証拠がない。

六、次に、司法警察員作成の実況見分調書の証拠能力について

司法警察員作成の実況見分調書、証人佐藤芳治に対する当裁判所の尋問調書、同証人および被告人の当公判廷における供述によれば、本件現場の実況見分は、昭和三九年一一月五日司法警察員佐藤芳治において施行され、その際は被告人を立会わせていないこと。そしてその際の実況見分調書にして同調書と一体をなす添付見取図(一)の朱書の部分は、その翌六日白河警察署で同司法警察員が被告人を取調べた際、被告人において反古紙に図解して説明したもの(その際被告人の手記した図解は存在しない)に基き記載したものであることが認められる。

一般に検証現場における被疑者その他の立会人の指示陳述は、検証事項を明確にするため必要であり、且つ検証物と直接関連する事実に関するものと認められる限り、これを検証調書に記載し或は図面を作成して引用添付することによつて、検証調書と一体をなし刑訴法第三二一条第三項により証拠能力を認められるのであるけれども、既に検証が実施された後の日に、その場所以外の場所においてなされた被疑者その他の立会人の指示陳述を検証調書に記載し或は図面を作成これを引用添付しても、そのような記載は検証調書としての証拠能力を認めることはできないばかりでなく、却て検証調書の信憑力に対する疑惑を招く有害無用の記載であるといわざるを得ない。

従つて、本件実況見分調書添付の見取図(一)の朱書の部分は、正にその有害無用の記載ということになるので、この部分に対しては、証拠能力がないものとして排除されるべきである。

七、次に、被告人の自白の任意性および真実性について

被告人は、司法警察員に対して、本件犯行を自白しているが、当公判廷においてこれを否認し、その司法警察員に対する供述について、私は取調べに当つた警察官に対し自分の撃つた方向は違うと何回も述べているのに右警察官は、あんたがやつたのだろう、あんただろうと何度もいい、その他つまらないことをきく等して三時間も調べられ、そのうえ私はその日、食事もとらずに出頭し、血圧も高くなる等して体の具合が悪かつたので、遂に嫌気がさし、事件になつたならば裁判所において、真実を述べようと思い、警察官からいわれるがままに署名指印したもので、それは警察官が勝手に書いたものであるからその内容は虚偽であると主張し、右自供の任意性を争うのであるが、これを裏付ける格別の資料もないので、被告人の右自供は一応任意性を有するものと解せられるので、以下その供述の真実性について考えるに、証人佐藤芳治に対する当裁判所の尋問調書、同証人および被告人の当公判廷における供述によれば、被告人は司法警察員に対しても当初射撃方向については当公判廷におけると同旨の供述をしていたこと。またきじの飛んだ方向については、取調べに当つた司法警察員から実況見分調書添付見取図(一)を示されたのに対し被告人は若干違つているといい、自ら別紙に現場の図面を書き、それにきじの飛んだ方向線を図解して説明したこと(その際の被告人の手記した図解は存在しない。)が認められるけれども、被告人の司法警察員に対する供述調書(自白調書)と対比すると、そこには喰い違いのあることが窺われる。更に右自白調書によれば、被告人は変形甚だしい押取の散弾粒(証第一、二号)を示されたのに対し私が発砲したものと思うというように迎合的な不自然な供述をしている点を指摘することができる。

およそ捜査の段階において、取調べをする側に立つ者と、取調べを受ける側に立つ者とでは、しばしば事態に対する認識と理解を異にするものである。そして取調べを受けるに当つては容易に不利益な事実を進んで述べることを欲しないのが常であるが、場合によつては主観的に真実にそわない事実でも自白せざるを得ない心理的圧迫を多少なりとも感ずる場合のあることは了解するに難くない。勿論その圧迫を感じる程度並びに遅速はその人の精神力、体力の強弱、社会的地位および境遇等によつて差のあることは当然である。

それで、本件の場合前示事実に、被告人の当公判廷における供述態度およびその内容を併せ徴すると、取調べの段階において被告人の頭初の供述に対し、取調官と被告人との間に認識と理解を異にし、被告人は村会議員等の社会的地位にあるところから或程度の追求に対し内心的に抵抗を感じ、ただ場当り的に事を早く済ませたい一念で事の重大性を忘却し、漫然迎合的な供述をなした結果であることが窺われる。

従つて、被告人の右自白内容はその真実性に乏しく、そのまま直ちに信用することはできない。

以上認定のとおり、本件公訴事実につき、被告人を有罪として認めるに十分な証拠が得られないので、結局本件公訴事実については犯罪の証明がないことに帰するから刑事訴訟法第三三六条により被告人に対し無罪の言渡をなすべきものとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 村田三良)

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